鹿児島旅行記その3・西南戦争関連

2009年01月01日17:03

夏に'90の大河ドラマ「翔ぶが如く」をDVDで全話見て、「篤姫温いな〜」と思ったり(逆にこの作品が熱い、とも言える)、司馬遼太郎の原作小説を読み返したりして、あらためて薩摩の人物と明治、西南戦争について考えてました。

大河ドラマの話をちょっとすると、西郷=西田敏行、大久保=鹿賀丈史など、キャストがハマり役だしみなさん熱演なので見応えがありますよ。お薦めします。
わずか数分しか出てませんが、「篤姫」では堀北が演じた和宮は若き日の鈴木京香が演じていたり、「篤姫」では島津斉彬役だった高橋英樹が、こちらでは久光だったり、色々発見もあります。
ただ、いかんせん台詞の鹿児島弁がかなり気合い入ってるし、用語や人物の呼び名も、史実や当時の習慣に即してたりするので、「篤姫」に比べてかなり難しいです。

寺田屋事件、西南戦争とは、結局は元々同志だった隣近所の幼なじみや兄弟、いとこ同士が様々な事情、ときには偶然のいたずらから敵同士となり、情け容赦なく殺し合わざるを得ないことになった、という話にはなるのですが、それは逐一説明するよりもマッピングしたほうが早い。


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維新を見ずして倒れた人、維新の頃は子供で、明治中頃から名前が出て来るひともいますが、とにかく密度が凄い。1km圏内くらいのうちから総理大臣が3人(黒田清隆、松方正義、山本権兵衛)も出ている。
教育システムの結果、優秀な人が群がり出たということも言えると思いますが、明治初期の文官・軍人登用における薩長閥の情実人事の凄さを見ていると、卵が先か鶏が先か分からないところもあります。

とはいえ、この辺りを歩いてみると、互いに家がはす向かいだったりする人間同士が戦わなければならないことの悲劇を実感することができます。
たとえば鹿児島中央高校前の四つ角に立てば、西郷隆盛・従道(弟が兄を討つことになる)、吉井友実(政府側)、大山巌(政府側・西郷のいとこ)、村田新八(薩軍側)、篠原国幹(薩軍側)それぞれの生誕地が本当に見渡せるのです。
そしてそういう、同じ町内の年長者の悲劇を間近で見て育ったのが東郷平八郎などで、
その後の日露戦争や新政府で活躍する人物群になるのですね。

「翔ぶが如く」の原作小説では、そういった人物たちのつながりやエピソードが丁寧に描かれており、最後のシーン、すなわち西郷と大久保の死に到るまでの登場人物たちの苦悩が非常に印象的です。
話は二つの対立軸で成り立っています、まず西郷vs大久保。これは幼なじみで同志ですね。
とはいえ、二人の台詞はそう多くはありません。浮き彫りにされるは、立場が完全に違ってしまったという悲しみだけであります。
それは、代理者とも言うべき二名の対立軸で描き出されて行きます。
西郷側の人物として桐野利秋。薩摩武士を凝縮したような人物です。とにかく武士の精神のため、西郷のため善かれと思って行動するわけです。
これに対し、大久保の下、日本の警察の父となる川路利良は、後進国から文明国に仕上げるという信念のもと、なんとしてでも西郷側を潰されなけらないと行動するわけです。
全10巻、日本史の教科書ではたいてい「征韓論に敗れた西郷隆盛が不平士族に押されて西南戦争を起した」とかなんとか、そういう記述で終わるんですけどねw
「武士」の終わり、戊辰戦争以来の旧幕府方の怨恨の敵討ちという要素で見ても、明治10年の西南戦争集結にして、ようやく明治維新が一旦完了したという思いを強くしますね。

何の話をしたいかと言うと、先ほどの実感の話ですね。
「黎明館」には、寺田屋事件の同志討ちの激闘で奈良原繁が使った刃こぼれが至る所にある刀も見る事ができますし、西郷らの興した「私学校」跡の石垣には、西南戦争の弾痕があったり。

西南戦争弾痕(私学校跡)

まあそういうのもあるんですが、鹿児島に行ってやはりと思ったのは、より深いレベルでの実感ですね。
たとえば下の写真のようなところから読み取れました。

六白

維新ふるさと館

上はとんかつを食べた店の前でたまたま見つけたのですが、「南洲」とは西郷の号です。
他にも「南洲タクシー」など、西郷にあやかって付けたと思しき固有名詞を数多く目にしましたが、大久保のそれ(甲東)は全くと言って良いほど見ませんでした。
あるいは下の写真。西郷の座右の銘はあっても、大久保の座右の銘はありませんね。
「つん」って何の事かわかりますか?見つけた時、思わず笑ってしまいましたが、西郷が連れていた犬の名前ですよ。
いわばペットですが、歴史上の人物のペットの名前を、子ども達が一斉に書いている絵を想像すると、かなり凄いことだと思いませんかww?

端から見れば、西南戦争などは一種薩摩人同士の私闘にも見えたでしょうが(実際そういう要素がないわけではない)、
お互い私利私欲の為に行動したわけでは決してないのに、鹿児島における大久保陣営への評価はまだまだ低いと言わざるを得ない。
(大久保生い立ちの地の案内板には、「無二の友を敵としても」というキャッチフレーズがあった。ちなみに各地の案内板のキャッチがどれもなかなか良い。「西郷南洲終焉之地」には、おなじみの「晋どん、もうここらでよか」。)

銅像の話が分かりやすいのですが、西郷像は昭和初期には上野にも鹿児島にもありましたが、大久保の銅像はたかだか二十数年前、川路像に至っては10年も経っていません。また両名の墓は鹿児島ではなく東京・青山にあります。
こういう話もあります。川路の子孫が、銅像建立のセレモニーにあたって、明治以来初めて鹿児島の土を踏んだそうですが、ホテルでのチェックインの時にはやはり怖くて「川路」と名乗れなかった、と…。

判官びいきとでもいいましょうか、日本人のメンタリティの作用もさることながら、西郷とは桜島、あるいは薩摩そのものの象徴というか、非常に大きな存在ゆえ、仕方なかったとは言えそれを殺してしまった者たちへの感情もまた非常に大きいということを実感したのでした。

西郷墓地に行き、西郷と同時に自決あるいは戦死した桐野利秋らの墓も見ましたが、生前の人間関係と同様、まさに西郷を中心に脇を固め、あるいは取り囲むように立ち並ぶ墓石を見ると、なんとも言い難い気持ちになりますね。これに比べると、青山霊園の大久保の墓は、墓石こそ巨大で広いが、あまりにも孤独で寂しいと思う。

南洲墓地

そのような中気持ちが救われるのは、相互に徒歩1分くらいの距離にある西郷の生誕地碑、大久保の生誕地碑が、あえて同じ石、同じ寸法で作られ、同じ日に建立されていることである。

大久保利通生い立ちの地(牧野伸顕生誕地)

西郷隆盛・従道誕生之地

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■その他の写真
Kagoshima '08

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